日本語の読点の問題2023年02月05日 15時08分

和文(日本語の文章)で句読点が用いられた例は、遡れば安土桃山時代あたりのいわゆるキリシタン文書らしい。これは欧文のカンマ・ピリオドに倣ったものだろう。
点を振るのは元来、漢文のような外来語の訓みくだしかたを指導するためである。和文には用いなかった。

句読点が和文一般に普及したのは近代だ。

例えば小説は、ストーリーテリングつまり「話し語るもの」である。
だから、セリフはもちろんのこと、いわゆる地の文も、口語体(話し言葉)であっても当然だ。
話し言葉を文章にして、読者にも話し言葉として読んでもらうものである。
それで、書き言葉と話し言葉を一致させようという「言文一致運動」がおこった。

読点(、)は、意味の切れ目のみならず、話し言葉として「どこに間を置くか」の指示にも用いられる。
そのため、読点の挿入位置に一意解はなく、人それぞれでさまざまに「 揺れる」ものである。

例えば、「それはそれは、大きな建物でした」と書いてあれば、
・「それは」の1つめと2つめのあいだには、間を置かない
・2つめの「それは」と「大きな」のあいだには、間を置け
という指示である。

「あまおう、それは、イチゴの品種です」と書いてあれば、
・「あまおう」と「それは」のあいだの読点は、読みやすくするために挿入しただけの可能性がある
・「それは」と「イチゴ」のあいだには間を置け
ということになる。


小説は一般的に、地の文も話し言葉である。
だから、読点は多用されがちだ。
とりわけオンライン小説、投稿小説のように、アマチュアや素人の小説では、読点は多用されがちで、作者により挿入の作法はさまざまだ。
「明らかにおかしい」という「間違い」はありえても他方で、「正解」はない。

日本語の句読点と、欧文のピリオド・カンマは、同じものではない。
日本語における句読点の作法は難しい。

【あとがき】『3年目の受験』(2023-01-28, #425587 monogatary)2023年01月29日 00時23分

『3年目の受験』 追記:公開終了しました。移転公開未定。
投稿日: 2023-01-28 
ジャンル: ヒューマンドラマ・日常系
字数: 約400字
お題「受験生と母」への投稿。

本作は400字程度の掌編小説。なるだけ短くなるように心がけた。

以下 ネタバレ

お題「受験生と母」であるが、母親がいるということが隠れた前提になりがちである。
しかし、以下のような場合がありうる。
母親がいない受験生
・母親がおらず、他方で父親が二人いる受験生
・むしろ母親が二人いる受験生
実母も養母もいる受験生

ゲイのペア、あるいは、レズビアンのペアのもとでの受験生の物語も書きたかったが、
ここでは母親がいない受験生の物語を書いた。


さて、お題の「受験」という部分が、なんの試験かも特定されていない。
大学や短大、専門学校、高校、中学校、小学校、幼稚園などとともに、
運転免許試験と捉えた人も、さらには死後の中陰と捉えた人もいた。よい着想である。
もちろん、「最後の審判」のように解釈することも可能なのであろう。

当初の表題は「3回目の受験」であった。
本作では、「入試」とは叙述していないはずだ。
なぜならば、この試験は司法試験だからだ。
法科大学院(ロースクール)制度導入後しばらくは、修了後5年間、かつ、3回までの受験に限られていた。
3回目の受験ということは、ラストチャンスなのだ。

だが現行では、回数制限は撤廃されている。
説明すると話が長くなってしまうので、思い切って省いた。
いちいち説明しないとほとんどの読者には解らないことは、私自身もわかっている。そこまでひとりよがりではない。

また結果的にみても、司法試験の物語では読者層の多くが、
司法試験が出てくる時点でもう主人公に共感しない、拒絶してしまうのではないかという気がする。
「なんの試験か」を具体的に示さないほうが、多くの人々に届くと思うのである。

さらには本作に限らず、小説では具体的に叙述しないほうがいいことが多いと思う。
読者が想像して、物語を「我がこと」として消化してほしいのだ。


以上

【あとがき】『わからない』(2023-01-28, #425568 monogatary)2023年01月29日 00時06分

『わからない』 追記:公開終了しました。移転公開未定。
投稿日: 2023-01-28
ジャンル: ヒューマンドラマ・日常系
字数: 約1300字
お題「受験生と母」への投稿。

monogatary.com お題「受験生と母」。
題意をどう捉えるか、どのように解釈するかが問題になる。
お題は、「受験生」と「母」の二つの要素である。「受験生の母」ではない。
また、「受験生」の受ける試験が何なのか、「母」は受験生の実母なのか、などといったところで幅広い解釈の余地がある。

以下 ネタバレ

本作は、ひねりもなにもなく題意を単純に捉えて、「受験生」と「母」の双方の主観で心境を描写した物語である。
「わからない」という語がモチーフである。

冒頭では受験生のよくある悪夢を叙述している陽動作戦をとっている。
この陽動作戦は、作品冒頭をキャッチーにする以外に、後半の「母」登場を予期させづらくする意図もあった。

受験生の心情と、母親の心情と。
互いの望むもののすれ違いを表現している。

私としては本作は、読者の共感を呼ぼうとする、いささかあざとい作品になったのではないかと思っている。
ただ、受験結果に固執しがちな一般感情に対し
その過剰な使命感、緊張、力みをそっと和らげようとする優しさが、本作の持ち味だと思う。


以上



【あとがき】『私の親友』(2023-01-31, #422491 monogatary)2023年01月27日 12時47分

『私の親友』 追記:公開終了しました。移転公開未定。
投稿日: 2023-01-31
ジャンル: 学園・青春
字数: 約2000字 (コンテスト制限字数によって)
お題「【ブルーミングボックス原作小説コンテスト】卒業」(出題日 2022-12-21)への投稿。

いわゆる中高一貫校の女子校を卒業間際で、東京の大学に進学予定の高校生が主人公。

コンテストの趣旨により、役者専業ではない人の朗読用として書いた。


以下 ネタバレ

メッセージは、「勇気」。
東京に引っ越して独り暮らしで暮らすことになる新生活へ踏み出すための「勇気」と同時に、
フツーの青春がないまま学生生活を過ごしていたとしても、卒業間際でも思い出作りはまだ間に合う、その一歩踏みだす「勇気」

だから本作は、春のこの時期の高校卒業予定者たちに向けた物語である。


本作の舞台は、作中に具体的な地名をあえて出さなかった。
だが、神戸の高校だということは、多くの人が判ると思う。

神戸にしたのは、コンテストで採用された作品を朗読する演者が兵庫県出身だからというだけではない。
むしろ、私自身が神戸や播磨および阪神圏を知っているからである。

本作では海をモチーフにし、主人公の名にも「海」を入れた。
私のいままでの作品ではめずらしく、(制限字数的に不利なのに)景色の描写がかなり多い。
主人公は高校に、東播(明石・加古川・高砂)方面から通っている。
海は、播磨灘や明石海峡である。瀬戸内海は穏やかで、乾燥して晴れている日が多い
もちろん今の東京にも海はあるが、同じような海、景色ではない
登場人物の氏は、鉄道駅名に由来している。


中高一貫の進学校、そして制服がなく私服という設定にした。
それはまず、こうした立場だと、
社会的に特殊扱いされたり、ねたまれたりしがち(いわゆるエリートと呼ばれて心理的に疎外されがち)だったりする、
そういう立場の人を主人公にして、こうした人も読者と同じだ、という親近感を与えたかった
から。

ただそうすると裏目に出て、作品をまともに扱われず拒絶されることになる、というリスクも含んではいた。
結果をみても、そうなった、と考えている。


しかし、進学校で大学受験に打ちこめば、
それはそれで「フツーでない」学生生活をせねばならなくなり、
また、犠牲にするものが出てくる。


本作の主人公は、父親がしがない会社員で片田舎に分譲マンションを買ったような、わりと一般的な生まれ。
(ちなみに、近年では姫路まで「ベッドタウン」が拡がり、新快速で姫路市内から大阪に通勤する人もめずらしくないそうだ。)
だからこそ、両親から期待を一身に背負わされている。
お金が中途半端にしかないから、遠距離の電車通学をせねばならない
普通の子なのだ。

学生時代に「青春がなかった」という人は多い。
部活動ばっかりだったとか、親類の面倒があったとか、さらには芸能活動をしていたという人も、普通にいる。
本作の主人公も、普通の子
である。

そして、生真面目で不器用だ。
器用にあれもこれもアグレッシブにこなす人ではない。
親の期待を背負って、受験勉強に集中しなければならなかったのである。

対照的に、「曽根さん」はアグレッシブだ。
そのアグレッシブで器用であるがゆえに、第一志望の京都大学に合格している、ということ。
二人の受験結果の差も、そのアグレッシブさ、「押しの強さ」によるわずかな差である。
また、ここで東京大学ではなく京都大学を志望したのも、
単に兵庫県(播磨)だから京都が近い、というだけではない。
京都大学という個性的で批判的なタイプの国立大学を選んだのであり、そこに曽根さんの人柄と意志があらわれている。

だが、その曽根さんもそれほどまでに交友関係が広かったわけではなく、
であるがゆえに、またその人柄が、遊びに誘った人選にあらわれているのである。


本作では、うらやみ・ねたみの人間関係は意識的に出さなかった
また、同じ志望大学・学部で争った関係もない。
登場人物たちは、限られた定員の奪い合いをしたのではなかったから、
落ちた人が受かった同級生を憎む理由はない
。無意味で、破壊的である。
作中の曽根さんと同様に、いや、そもそも私が、そういう話をしたくなかった。


電車通学をしていると、車内で性犯罪に遭うこともある。
さすがに東京ほどには混雑していない神戸方面の電車でも、起こっている。
東京の満員電車ではなおさらに厳しい。
だから、東京暮らしに恐怖と不安があるのは当然のことで、残念ながら、遭う覚悟が必要である。
本当はこんなことで辛抱させられるのがおかしいのであるけれど、現実問題として、闘わないといけない現状がある。
東京の大学に進学することの心配と、踏み出す「勇気」を話すうえで、
本作で車内犯罪の問題に言及することは必要
だった。


以上


【あとがき】『包容力ある人々 ; Inclusion』(2023-01-23, #425052 monogatary)2023年01月24日 20時39分

『包容力ある人々 ; Inclusion』 https://monogatary.com/story/425052
投稿日: 2023-01-23
ジャンル: ヒューマンドラマ・日常系
字数: 約5000字
お題「三杯目の珈琲の味」への投稿。

「包容力がある」は inclusive で、
inclusion は、「包容する」「受け容れる」「包摂する」というような意味

表題は、monogatary の表紙(扉絵)機能に合わせ、据わりをよくするために試行錯誤した結果です。
当初の表題は「包容力のある人々 あるいは インクルージョン」(本当なら、そのほうが格好よいし、意味がよく通ります)。
背景画像も、コーヒーカップ→カップに注ぐ→東京→列車内、となっていますが、もちろん意図的です。
毎回、表紙(扉絵)に苦戦させられています。
フォント選びもです! 内容に合わせたり、第一印象をキャッチーにしようと思ったりして、試行錯誤していますよ。

約5000字にも及ぶ長めの短編で、4章だてにした。
内容からして致しかたないのですが、真剣に書いていたら、体調不良や大寒波の影響でとても時間がかかりました。


以下 ネタバレ

本作では、"diversity & inclusion" の意義を説明したかったのです。
ダイバーシティー & インクルージョン」、CSR とか SDGs とか東京オリンピックとかあちこちで、さんざんいわれています。
しかし、日本人のほとんどは、その意味が全然わかっていないから。

実際に、
『彼女は みんなと ちがってる』
https://monogatary.com/story/423476
でもテーマにしたといえますが、これでさえも理解されずにずいぶんとナイーブな(無神経な)反応もありました。

ことあるごとに心が折れそうです。
伝わらない、聴く気のない人には、どうやっても無理でしょうけれど。
私は全知全能ではないから。

だから本作では、明示的に、長尺で、話そうと思いました。

本作は、いわゆる自助グループの話です。が、「自助」グループと明示的に記述するのはギリギリまで遅らせました。


冒頭のシーンですが、読み始めた段階ではほとんの人が「1杯目のコーヒーだ」と思うでしょう。
しかし読み終えれば、「これは終盤に出てくる3杯目のシーンだ」と判ります。
終盤のシーンをあえて冒頭に出しました。歌でいえば「頭サビ」みたいな構成です。
これは、疑問を抱かせ、読み進める動機づけにするのが狙いです。

章題は、第1章 一杯目、第2章 二杯目ときますから、第3章が「三杯目」になるのを予期するでしょう。単純に章番号と杯数を一致させているだけだと。
それを見越して、第3章は「ダイバーシティ & インクルージョン」です。
最終章までいけばわかりますが、「杯目」は作中の進行状況と一致しています。
お題は「三杯目の珈琲の味」ですから、結末部分にそのモチーフを活かし、感動的な読後感を演出しました。


ところで、どこまで明示的に叙述するか、最後まで、それこそ投稿後になっても、迷いました。

本作の叙述は、客観視点です。作者の視点、いわゆる「神の視点」ともいわれているものです。
ですから、やろうと思えば何でも知っている、なにせ作者だから創ってしまえばいいので、
いくらでも明示的に書けます。明かせます。

しかし結局は、おもに第3章にある、自助グループに関する一般的な説明部分を中心に、明示的に記述しました。
現実社会に実際に在るのですから、説明すべきだと考えました。

ミーティングの内容は、外部には秘密です。
本作はフィクションですから、ミーティングで話されたことも、いかようにも創れます。
が、あえて創作せず叙述しませんでした。秘密です。

他方の、登場人物を中心にしたフィクション部分においては、なるだけ明示しないでおいて、読んで考えて察するように期待しました。
答え:
香織は、会場に最初に来て、部屋のカギを開け、机やイスを配置し、お湯を沸かしている
・柚月は、いつもなら2番目に来て、メンバーに出す飲み物の準備をしている。バッグが大きいのもそのため
・柚月も、香織と同じく真面目で几帳面。また普段は抑鬱的、根暗。その反動で、仁美に好意をもった帰り道、無邪気になった。
・マコトは、トランスジェンダー女性。だが、普段の社会生活では公表していない。なので女性装にはそれほど慣れていない
・仁美が寄付した(献金袋に入れた)のは、500円硬貨

仁美が冒頭&終盤で「損しているんだろうな」と思ったのは、金銭的な問題ではない。
仁美が真面目で、社会的に抑圧されながら辛抱していることで、「個人的に損して、社会全体に譲らされている」。


柚月が仁美に手伝わせたのは、手が空いているメンバーに協力してもらって負担の偏りを減らそうと考えたから
それはおそらく正解で、自助グループでは妥当な考え。
そのためにはあえて積極的に、必要なタスクを説明して協力させることが必要。
たまたま先に着いていた仁美がいて、手が空いていたのだから、手伝わせたのはもっともなことである。

四人の主要登場人物がみな、しっかりとした背景や人柄、内心にも意思をもっています

虹の emoji も出しましたが、いわゆるレインボープライドのニュアンスはもちろんあります。
しかしそもそも、
レインボーフラッグとか「プライド」(尊厳)とかいうものは、
セクマイ(LGBTQIA+)の尊厳だけを指向したものではありません。
誰もが、尊厳をもっています。「レインボーフラッグはみんなの、ひとりひとりの、もの」です。
そのうえで、社会の既成事実として不利益な立場に押し込められている、差別・迫害を受けている、「イジメられている」層を、
「現に存在している」と「可視化」し、支える、「ゲタを履かせる」こと、いわばアファーマティブアクションによって、公平にしよう
というのが、その発想です。
「誰もがみんなちがってる」という現実を社会的に認めて、排斥せず、公平に近付くよう是正すること、それが "diversity and inclusion"です。


以上